常平 雅蘭酒店の文革レストラン

常平の雅蘭酒店(雅蘭ホテル)対面の雅蘭KTV1階に、湖南料理レストランが入居しています。
華東地区や華南地区を中心にチェーン展開しているレストラン「江南公社」の常平支店です。

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「江南公社」と言っても公営ではなく普通の私企業が経営するレストランで、「公社」は単なる店名です。

日本人が「公社」と聞いてイメージするのは郵政公社とか専売公社とかでしょうが、中国人がこの言葉から想起するのは1958年頃から毛沢東の指導下で組織された共同生産組織「人民公社」ですね。

この江南公社のウエイトレスやウエイターは、紅衛兵のコスプレをしています。
店内に懐かしい社会主義のスローガンが掲げられていたり、飲み物のカップがレトロなホーロー製のコップだったりと、毛沢東が国家のリーダーだった頃の中国をイメージした演出です。

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こういう「文革時代を模したレストラン」のコンセプトは、2000年代の前半に北京で話題となり、その後、おもに北方で流行したように記憶しています。当時のものは、内装や衣装だけではなく、店内のステージで革命劇や革命歌の出し物をするなど、凝った演出をしていました。

江南公社の文革レストランチェーンではこういう濃い演出はなく、内装と衣装の限度でのレトロ趣味ですが、その店名と相俟って人目を引く効果はあるようで、華中・華東地区を中心にかなりの数の店舗ができています。


常平ではやっぱりだめ? その原因は・・・

しかーし、雅蘭酒店の「江南公社」は、どうやら経営が思わしくないようです。

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開店して1年ほどで、すでに売りにだされていました。

刹那を生きる常平の住民には、懐古趣味など通用しなかったようですね。
それもそのはずで、東莞市は出稼ぎ労働者が定住して人口が増えた街なので、労働人口は多いですが、改革開放前の中国を懐かしむような年代の人は少ないのです。

人口統計を見ると、2010年の「普査」(国勢調査)では、東莞市の高齢者(65歳以上)の人口比率はなんと、

「2.26%」

まるでアフリカの短命国のような人口構成です。
ちなみに平均寿命が50歳程度のルワンダやソマリアでさえ、65歳以上人口は約2.5%

中国全土平均では8.2%なので、東莞市の人口構成は中国のなかでもかなり特殊です。
社会主義時代の中国などイメージできない世代が大多数を占めているわけですね。

ちなみに東京都の高齢者人口比率は21.9%なので、東京と常平とでは街を歩く人の様相がまったく違います。

参考:东莞市2010年第六次全国人口普查主要数据公报
http://tjj.dg.gov.cn/website/web2/art_view.jsp?articleId=4012



東莞市歴史博物館には毛沢東がいない

さらに、東莞の土地柄としても、改革開放経前の中国に対する興味は希薄のようです。

一例を挙げます。
毛沢東といえば、中華人民共和国の祖であって、中国現代史のもっとも重要な人物のひとりです。
ところが、東莞市の歴史博物館の展示には、毛沢東が登場しません。

東莞市博物館は、東莞市政府が運営する博物館で、展示室の総面積は3300㎡と、なかなかの規模です。

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中国系米国人で元ウォール・ストリート・ジャーナル北京駐在員のレスリー・T・チャン女史が、この東莞市博物館を見学した印象を、著作「ファクトリー・ガールズ」(邦題:現代中国女工哀史/白水社)に書いています。

博物館には、先史時代から清朝時代に至るまで、東莞の産業や生活について、ジオラマやマネキンを使った凝った展示物が並ぶが、近代に至ると展示が簡略になる。アヘン戦争、第二次世界大戦、中華人民共和国の建国は、それぞれ小さな写真と形ばかりの一、二行の説明で済まされていて、建国の祖である毛沢東の写真も名前も出てこない。しかも、建国の次は一気に30年後の鄧小平による改革開放政策に展示が飛んでいる。
「毛沢東に一言も触れない博物館が中国にあるとは信じられなかった」
とチャン女史は書いています。

「新中国」(xin zhongguo)は、毛沢東や共産党によってではなく鄧小平によって作られたというのが東莞市政府の認識なんでしょうかね。
「没有鄧小平、就没有新中国」かな。あるいは「没有港台資本、就没有新東莞」かな。実際に東莞の街の状況を見ていても、上(政府)から下(庶民)まで、こんな歴史観で生きているように感じます。

雅蘭酒店の文革レストランは、要は、開業する街を間違えたんですよね。
梅州あたりのほうがまだ見込みがあったんじゃないかな。


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