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投げ込み寺から吉原へ

今度は東の遊郭「吉原」の話。
僕は吉原で遊んだことは一度もない。地理的に日常の行動範囲からはずれるので、仕事帰りにちょっと寄るわけにもいかないし(あのエリアが日常の行動範囲に含まれる東京人は3%もいないだろう)、そもそも日本だともう少しカジュアルな風俗のほうがかえって楽しい。カジュアルな風俗というのは、新宿、渋谷あたりのヘルスとか、池袋の回春マッサージとか。

この日もソープで遊ぶのが目的ではなく、一種の歴史散歩にでかけたのです。
地下鉄日比谷線に乗って出かけた最初の目的地は三ノ輪の浄閑寺。川柳に「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれた、あの寺。かつて吉原遊郭内で亡くなった遊女は戸板に乗せてこの寺に運ばれ、境内に掘った穴に捨てられた。

遊女のむくろを乗せて運んだ道は当時の日本堤ぞいの道で、今は拡張されてバスが通っている。その道筋を歩くのが、この日の散歩の目的。

立て込んだ住宅地のなかの浄閑寺は、大戦の空襲にも焼け残り、往年の姿をとどめている。

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本堂の裏手のこぢんまりした墓地のなかに、遊女の供養塔がある。写真を撮ったが、ここに載せるのはためらわれる。
供養塔の基台は石組みで、間口3メートル奥行き2メートル、高さ1メートルほどの方形。内部は空洞。そこに遊女のお骨が納められている。供養されている御霊は2万柱を超える。基台の上には石仏が1体。
花と水は毎日新しいものが供えられるようだ。たくさんの卒塔婆が立て掛けられている。有名なソープランドチェーン「角海老」の名が入った真新しい卒塔婆もあった。

浄閑寺をでて、日本堤を拡張してつくられた土手通りを浅草方面に向かう。正面にはスカイツリー。交通量は多い。

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浄閑寺から吉原までは徒歩10分程度だった。
江戸時代、苦界で死んだ遊女の魂は人々に災厄をもたらすと言われ、怖れられた。できれば遠くに葬りたかった。
しかし、運ぶには人手がかかる。徒歩10分が、ちょうど折り合いのつく距離だった。たまたまその距離にあったのが浄閑寺で、遊女の供養を引き受けることになった。

遊郭の入口である「吉原大門」(「おおもん」と読む)は大通りに面しておらず、約100メートル(五十間)ほど入ったところにあった。大通りから大門までの短い道を五十間道と呼ぶ。今は五十間道の入り口が信号機のある交差点になっている。

交差点の名称は「吉原大門」。
都バスの停留所名も「吉原大門」。

基本的知識のおさらいになるが、吉原遊郭はもとは江戸初期に現在の日本橋人形町付近につくられた。そこの地名「葦原(よしわら)」にちなみ、「吉原」遊郭と命名された。のちに幕府の命令で現在の場所(台東区千束)に移転したとき、移転先の地名が吉原に変更された。
つまり、赤線廃止後の昭和41年に住居表示が変更されるまでここに存在した「吉原」という地名は、遊郭が持ってきた地名である。

かつては吉原の門のなかに、貧困地域から売られてきた女性が監禁され、売春を強制された。そういう事情に鑑みれば、都営バスの停留所の名称に「吉原大門」の名が使われているのは違和感がある。
すでに過去の話だから使ってもかまわないという判断だろうか。
物事が時間の経過によって美化されるというのは、実に日本的な感性だなー、と思う。

土手通りからソープ街に入る五十間道は大きくカーブしている。このカーブは、江戸時代の吉原遊郭のまま。表通りから遊郭が見通せないようにわざと曲げてある。

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顔見世のある大阪の飛田新地とは違い、現代の吉原はそっけないコンクリートのビルばかりだ。呼び込みはみなスーツ姿の男性なので、色街・遊郭の雰囲気はない。性産業という身も蓋もない言い方がぴったりくる街だ。

遊郭時代からのメインストリート「仲の町通り」を直進してソープ街を通過し、吉原神社の先を道なりに左に進むと、左手に弁財天がある。

ここにはかつて大きな池があり、関東大震災で吉原遊郭が炎上した際に、多くの遊女が火に追われて飛び込んだ。重なり合った人々の下敷きで、490人が溺死した。犠牲者を弔うために整備されたのがこの弁財天で、境内には多くの供養碑がある。

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境内全体に数十の風鈴が吊るされていて、数十の乾いた金属音が同時に響いている。かこまれて立つと、けっこうな異界感がある。

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この吉原弁財天も、浄閑寺の供養碑も、いまでも人の手が丁重に入っている。おそらく吉原の業界団体だろう。「浅草特殊浴場防犯健全組合」というらしい。吉原の売春街が続く限り、代々その役割が受け継がれていくのだろう。
一方、もしもお上の政策で東京が「浄化」されたら、この供養の引継ぎ手はいなくなってしまうのかな。



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